ポイ捨てと暴力は似てる

普段、道に平気でポイ捨てしていない人間からすると、ゴミを道端にポトッと落とす行為は、とても勇気がいる。

でも、普段から平気でゴミを投げ捨てているような人は、躊躇なく捨てている様子だ。

罪悪感、というものを忘れてしまったのだろう。

暴言や、暴力的な態度も、同じだと感じる。

自分の中に沸き起こった怒りや憎悪、嫉妬などの感情を吐き出す時に、

平気で暴言や暴力的な態度をとる人は、’躊躇する’というステップがなくなっている、

もしくはその壁がとても低くなっている。

ポイ捨てと同じように、怒りを吐き捨てることに対して、

自分の行った行為が周りにどんな影響を及ぼしてしまうかという想像ができず、

罪悪感というものを忘れてしまったようだ。

自分のした行為に対する罪悪感が少ないから、平気でできる。

被害を被った方は、たとえば、道ですれ違う見知らぬ人から暴言を吐かれた時は、

”犬に噛まれたと思って”分別ない人に偶然に不利益を被ったことを、早く忘れようと水に流すようにできるけど、

一番身近な家族やパートナーからされたら、心に深く影を落とす。


冒頭の考察のように、罪悪感がないから、だけではなく、

むしろ、「相手が悪いことをしたから正しただけ」と、

当然のことくらいに思っているから、

やった本人はすっかり忘れている。


でも、された方は身体的に若しくは精神的に傷つき、

そしてずっと心の傷跡はずっと残っている。

紛らわそうとしても、結局、思い出されては、

「なんで、そんなことされなきゃいけないんだろう?」という自問自答と

悶々とした時間が過ぎる。

挙句のはてに、「自分が悪いから」だと結論つけて自責する人もいる。

それが、典型的な、自分の暴力に正当性を信じるDV加害者と、

相手の暴力を問題視せずに自分がそうさせたから悪いと思い込んでしまう

暴力を受けながらその事に対して自責の念を持つDV被害者との精神構造らしい。

そうなると、抜け出せない沼だ。



家庭内暴力は、激しい暴行を行うよりも、言葉や、ものに当たったり暴力を与えるふりをして’脅す’行為の方が多いという。

あからさまな、わかりやすい、生傷や暴行の跡なら、周りも気付きやすいけど、

’ものを投げつけられる’、’暴言を吐かれる’、

そして(暴言を言わなければいけなかったと主張する)最もらしい理由を付けられることを繰り返されると、周りは気付きにくい。

しかも、そのことによって、じわじわと、DV被害者の自己肯定感を低くさせる。

愛情を注ぐ子供やペットなどの存在があると、なおさらすぐに一人で離れられず、悶々と悩む日々が過ぎて、

結局、いつの間にかその地獄から抜け出せなくなる。

目に見えにくい家庭内暴力の問題は根深い。

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